古代史の中のコトバ

  1. はじめに
  2. 倭人伝
  3. 天皇名
  4. 地名
  5. 稲荷山出土鉄剣銘
  6. 古代語解釈の基礎

語源でとく古代大和(本)

  1. 書籍紹介
  2. 動画解説

真説―古代史

  1. 目子媛の「草香」
  2. 「橘」という勢力

談話室

  1. うましうるわし

天皇名

神武天皇
『記』 神倭伊波礼毘古天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)
『紀』神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)
   始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)
   神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)

イハレはイ・ハレ。イは強調の接頭語(「解釈の基礎2」)。
ハレはハル。このハルは、「開く・オープンにする」意で、
  ハル【墾る】原野を開き、開墾する
  ハル【晴る】太陽に雲がかららずオープンである。
などの語を作る。春も季節が始まる意の語であろう。(阪倉『語構成の研究』p285)
従って、この天皇名は「神日本を開いた天皇」ということであり、ハツクニシラススメラミコトは天皇名を言い直したものといえる。シラスはシル(占る)に尊敬を表す助動詞スを付けた語。

崇神天皇
『記』御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)
    所知初国之御真木天皇(初国をしらすみまきのすめらみこと)
『紀』御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらのみこと)。
    御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)

ミマキは『書紀』が御間城と書いているとおりでもよいが、「キ(城)=区画された場所」であるから、「マ(間)」と重複している。古事記で「真」の字をあてているように、「マ(真)」は尊敬表現であろう。結局「ミ(御)マ(真)キ(城)」である。ミマキ入彦はミマキに入った人の意。
イニヘはイ(強調辞)・ニヘで、ニヘ(贄)は神に捧げる食べ物を表す語であり、豪華な食事などを意味する美称と解される。 ミマキがどこかということだが、マキムクがマキ(ミマキ)の向かいという語であるから、巻向川の向かい、現在の三輪の地であろう。

垂仁天皇
『記』伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)
『紀』活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさちのみこと)

イ・クメ(久米)入彦・イ幸。久米に入った人。イ幸は、崇神のイニヘと同様の美称であろう。

景行天皇
『記』大帯日子淤斯呂和気天皇(おほたらしひこおしろわけのすめらみこと)
『紀』大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)

タラシはタル(足)を元にした語(形容詞とみてもよい)。ワケはワク(湧く、発生する、生まれる)の名詞形。この場合、オシロ(御代)とは宮の地であろう。宮で生まれた天皇と解される。

成務天皇
『記』若帯日子天皇(わかたらしひこのすめらのみこと)。
『紀』和風諡号は稚足彦尊(わかたらしひこのみこと)

ワカ(若)タラシ(満ち足りている)彦。

仲哀天皇
『記』帯中日子天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
『紀』足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
タラシ(満ち足りている)中ツ彦(兄弟のうちまん中の皇子)

「タラシヒコ」という称号は景行・成務・仲哀の3天皇が持ち、時代が下って7世紀の舒明・皇極の両天皇も同じ称号をもつことから、タラシヒコの称号は7世紀ものであるとして、景行・成務・仲哀の称号は後世の造作と考える説がある。
確かに、景行・成務・仲哀の天皇名は、タラシ以外の部分にあるのは、オシロ(御代)・ワカ(若い)・ナカ(中)という個人の特称とは言い難い語だけで構成されている。明らかに、神武・崇神・垂仁の天皇名とは違う。しかも、舒明・皇極が近江系(息長氏系)であるのに対して、成務(宮は近江)・仲哀(皇妃が息長氏)も近江と関係する。これらの天皇の存在は近江系氏族の主張したものであろう。
ただ、タラシという称号の類似性でもって、すぐに造作というのも早計に過ぎる。もともと四、五世紀の天皇名は難波天皇(仁徳、万葉集)、伊久米天皇(垂仁天皇、常陸国風土記)の如く宮の所在地や出身地で呼ばれたに過ぎない。神武=カムヤマトイハレ彦、崇神=ミマキ入彦などにしても、後代的な呼称といえる。天皇名と言っても、個人を示す特称は発達しておらず、『記紀』の述作にあたり、宮名や業績をもとに創作あるいは整えられたものと考えるべきである。

応神天皇
『記』品陀和気命(ほむだわけのみこと)品陀天皇(ほむだのすめらみこと)
『紀』誉田別尊(ほむたわけのみこと)、大鞆和気命(おおともわけのみこと)

ホムは「人をほめる」と言うのではなく、古代語としては
 ホム【誉】(幸福・繁栄のもたらされるものを祈って)縁起のよいことばで称える。祝う。
という意味を持つ。もともと「穂・鉾=突出した部分」の動詞化語であるから、要するに「優れている」が原意である。ただ、ホムタは「生産力の高い田」の意で地名であろう。
この天皇が大鞆和気命という別名を持つことは注目に値する。大伴ワケ(大伴氏の出自)と解されるからである。垂仁がイ久米入彦であり、久米は大伴氏の地であるから、応神が大伴氏ということはありうることである。

仁徳天皇
『記』大雀命(おほさざきのみこと)(『古事記』)
『紀』大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)

まず、次のような語形成を理解する必要がある。
    サク→サカユ(栄ゆ)・サカル(栄る・盛り)
サカユやサカルという語から、元はサク(栄)という語があったと考えられるのである。
「イヤサカ(弥栄、ますます繁盛)」のサカは、この古いサク(栄)の名詞形である。サザキは、このサクを元にした語で、
  フク(吹く)→フブク(吹きに吹く)
  サク(栄く)→サザク(栄えに栄える)
と考えられる。なお、ミサザキ(御陵)というのも、縁起の悪い墓を墓といわず、「ますます良い所」と表した語であろう。
こうして見ると応神が「ホム(誉)」を用い、仁徳が「サク(栄)」を用いており、類似性があるようにも見え、そうだとすると応神のホムタは地名ではなく美称と解される。

地名の項で「サ・サク(栄)」を説明するが、この原意は「多く集まる」であり、珍・弥(ますます多い)の意と符合する。ホムと讃もほぼ同意である。

履中天皇
『記』伊耶本和気王(いざほわけのみこ)
『紀』 去来穂別天皇(いざほわけのすめらみこと))

イ佐穂ワケ(佐穂の出自)。垂仁紀に佐穂彦・佐穂姫の話がありその頃に王権に統属されたものであろう。佐穂を基盤とする王権であることを意味する。

反正天皇
『記』水歯別命(みずはわけのみこと)
『紀』 多遅比瑞歯別尊(たじひのみずはわけのみこと)
タジヒ(丹比)のミズハ(水場)のワケ(出自)

允恭天皇
『記』男朝津間稚子宿禰王(をあさづまわくごのすくねのみこ)
『紀』 男浅津間若子宿禰王(古事記)
朝津間は現在の御所市朝妻。葛城氏の元にあった南郷遺跡群の所在地。南郷遺跡群は百済系の渡来人の居住地域である。葛城の百済系渡来人(東漢氏)に擁立された天皇。

安康天皇
『記』穴穂御子(あなほのみこ)      
『紀』 穴穂天皇・穴穂皇子(あなほのみこ)
穴穂は石上穴穂。物部氏に擁立された天皇であることを意味する。

雄略天皇
『記』大長谷若建命(おおはつせのわかたけるのみこと)
『紀』 大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)
はつせ(長谷)は、現在の初瀬川の流域。